人生に妥協したままでいいのか
こんにちは。
僕はいつも人生に妥協してきました。
どこかで自分の限界に線引きをして無理をしない毎日を送ってきました。
学校のマラソンもテストも部活動も恋愛も、理想を夢見るものの、実際は「自分が理想を語ったところで叶いっこない。こんなもんでいいか」と妥協していました。
なんとなく選んだ組織や集団も
汗流して頑張るのはダサい
そんな風潮があり、そこに合わせている自分がいました。
このままの将来に希望はあるか?
ある時友人が楽しそうに自分の夢について語っていました。
夢や希望に冷ややかだったその頃の僕は「どうせ叶わないだろ。」と内心思っていました。
今思えば最悪のクズ野郎ですね。笑
そのときは将来を思い描くと、なんとなく仕事をして結婚もして家庭を持って…そんな生活になればいいのかなと考えていました。
そこには夢や希望なんかありません。
ただ平凡を望んでいました。
僕にはそれくらいが丁度いいのだと。
バイトで出会った中年の話
僕は一時期、肉体労働のバイトをしていました。工事やイベント会場作りといった仕事です。
ある日、現場に行くとリーダーの方が40代くらいの方でした。頼りがいのあり気さくな人物で話をしていて面白い方でした。
その方は自分の過去を語ってくれました。
「俺は今はこんな仕事をしてんだけど、35ぐらいまではゲーム屋を経営していたんだよね。不況の煽りか突然潰れちゃってね。今は夜勤までやらなきゃ食ってけないよ。」
この言葉を聞き、今までの自分が恥ずかしくなりました。それは大きな勘違いをしていたと気づいたからです。
なんとなく平凡な人生なんてないんだと。
可能性に食いついていけ
どんなに努力して頑張ってる人であってもすべて上手くいくかわからない。
必死に汗かいて家族のために働いている人でも現に苦労している。
そんな人生が果てしなく嫌でした。
そんな将来を生きたいと思えませんでした。
しかし今のままでは、そうなるかもしれない。
可能性がある若い今ならば、どんな未来でも選べる。幸せな未来を掴み取ることができるんじゃないか。
考えをそう改めました。
それからは努力から逃げず、きちんと自分に向き合うことにしました。
理想を手に入れるためにはいま何ができるか。
あとがき
常識とは18歳までに身に付けた偏見のコレクションのことを言う。
これはアインシュタインの名言です。
「自分に限界を設けて、妥協して人生を生きていく。」
この考え方自体が僕が生きてきた間で身につけた偏見なのかもしれません。
幸いにも自分の過ちに気づけました。
何もしないうちからダメだとか出来ないとか決めつけるのは間違いだと思います。
頑張って勉強したら大学行けた。
無我夢中で就活したら内定とれた。
ダメより先にやってみたら、案外上手くいったこともあります。
だからこそ、起業も仕事も人生もすべて全力で取り組みたいと心から思います。
それではまた。
関連記事